カッテンディーケはオランダの海軍人、政治家であり、江戸幕府が設立した長崎の海軍伝習所で1859年まで教官を務めた人だ。
彼は1857年に江戸幕府の依頼でヤーパン号を回航するために日本に来た時、こんな言葉を残している。
「日本人の悠長(ゆうちょう)さといったら呆れるくらいだ。その船を修理台に引き上げようとする段になって、材木がまだ届いてないという始末で…」
この言葉から、当時の日本人は相当大雑把な性格をしていて、計画性があまり無かったことが考えられる。
しかし、現在の日本人は、海外の人から見られた時、勤勉なイメージを持たれている場合が多い。何故ここまでの変化が起きたのか、その理由は彼が長崎海軍伝習所で教官を務めた功績にあると考える。
彼は軍人であり、政治家だから、計画を立てるという作業をする機会が多かったことだろう。そんな彼が教官を務めたら、計画を立てる術も一緒に指導するのではないだろうか。
その証拠に、1860年以降の戦争での日本の戦法は計画的な物が多い。例えば日清戦争の事前軍備増強や迅速な動員は、カッテンディーケが言葉で残していた材木の発注計画と重なる部分がある。 また、現在の日本には「満員電車」という物が存在する。
約1分程度で乗る人と降りる人が入れ替わるその姿は世界でも目を見張るものだ。
それを可能にしているのは、軍人として鍛えられた名残ではないだろうか。
電車のドア付近の人が乗り降りの邪魔にならないよう、奥に移動したり、1度降りてまた乗ったりするのは元々の日本人の思いやりの心だろうが、それを素早く行う計画的行動はカッテンディーケのもたらした悲しい文化と考えられる。
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